一人だけで飲んでると、
2004年11月8日怒りに任せて文章を打ってしまう(藁
しばらく、一人アルコール禁止にしよう(´・ω・`)
昨日一日は、のんびり部屋にひきこもりながら、
本を読んでいました。
日記書いてる途中に『破戒』をのっけたこともあって、
なんとなく小説を久しぶりにどばーっと。
正確には、読み返し(’’
ということで、以前メモっといて、
日記に使い忘れてる『最後の息子』について感想を。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167665018/250-8321025-4621863
まず、結論からいって、表題作以外の二編は、
、、、おもしろくない(´・ω・`)
レビューを見てると、やたらと「water」が人気なんですが、
なんともいやはや。
でも、表題作である「最後の息子」はマジおすすめ。
この「最後の息子」、
姫野カオルコの「ツ、イ、ラ、ク」の
ラスト、アイスをすーっと後輩社員の前に滑らすとこで、
おー、すげーエロいじゃんっ、と思った人なら、
ぜーったいに、うひひ、と言ってしまうはず。
それも最初から最後まで。
5回読み返してもあきない(ぁ
「は、ツイラク俺読んでねーよ、説明しろよ」
とかいわれそうなので、どういうことかというと・・・
まず、話をする上で、ちょっと言葉を定義させてください。
この本にあふれてるのは、そう、言うならば、
恋人同士であることを伏せてる職場で、
一人が先に帰ることになって、「お先に失礼します」、
とかいってるとこで、一瞬だけ、
二人、目をあわすようなこと。
愛、愛は愛でもささいな愛。
なんというか、魂同士が一瞬こすれるような。
愛情って言葉が一番近い気もしますが、
なかなかいい言葉を思いつけないので、
ここでは、愛情、で通させていただきます。
さて、この話の主要登場人物は二人。
閻魔ちゃん、と、「ぼく」である主人公。
閻魔ちゃんは、我らがニチョこと新宿は二丁目に
お店を持つバリバリのオネエ(ぁ
「ぼく」は、閻魔ちゃんの家に同居してる、
世間で言うヒモ。
専業主夫みたいに家事をするわけでもなく、
一日中グダグダしてる。
まぁ、こんな感じの、
世間ではまず表に出てこないカップルのお話。
しかし、こんな構成はどうでもいいの。
大事なのは、話のそこらじゅうから、
かもしだされてる愛情。
にじみでまくってますよ、はい。
かびはえちゃうよ?、くらいの勢い。
きっと、高級チーズみたいな熟年カップルに、
将来必ずなるであろうことが確信できる。
そんな二人。
この一瞬にじみ出る愛情が、
作者のうまい時間軸の設定、仕掛けに乗っかって、
ラストに向けて収束していく。
そして、将来に向かって、
絶対にこの二人が幸せになれると確信させる。
「ぼく」が閻魔ちゃんをすんごく愛してる、
閻魔ちゃんも「ぼく」をすんごく愛してる。
がんがんつたわってきます(’’
二人とも一生懸命愛してるし、愛されようとしてる。
そんなhappyなお話。
同性愛であること特有の陰がいくつか盛り込まれてますが、
そんなのふっとばしちゃうくらい。
実は、陰のひとつに、閻魔ちゃんと「ぼく」の友達が、
ホモ狩りで殺されちゃったりするんですけどね。
この事件に対する「ぼく」の
怒りの発散の書き方も、秀逸。
うちが日記に怒りを込めて書き込むのと同じね(ぁ
ということで、是非読んでください。
まじ萌えれます(’’
とにかく、この二人の随所随所に出す、愛情、
読み終えたときには、まんぷくーって言えるはず(’’b
P.S.
「water」の中で、圭一郎が、
ジャン・コクトーの『白書』を持ってきて、
主人公に自分の父親と自分自身のことを
相談してる場面があるんですが、
当然、主人公は知りません、分かりません。
ここ読んでる人も「んなもん読んだことねーよ」でしょう。
私も読んだことありませんし(’’
が、この小説不親切にも、そのまんま流しますw
うちは、なんとなく薄々は分かりましたが、
普通は分からんでしょう。
ジャン・コクトーの『白書』は、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4763094165/249-8780875-5353118
まぁ、この本の中で、ジャン・コクトーは、
自身の父親もお仲間だったと匂わせております。
圭一郎の母親が、家出したくなるのも分かるわw
息子は、よく分からん、感情隠してる。
夫は、実はゲイだった、偽装結婚か?
ほんとに愛してくれてるのか分からん。
ご愁傷さまです(・人・*)
P.S.
Amazonの『最後の息子』のレビューの中に、
「なんだか切ない話です。
おかまの閻魔ちゃんの、おかま故の悲しさ、というか。
心だけでなく、身も女性であったら、味わうことのない悲しさ。
作品の主旨はそこではないと思いますが、
私はそこにばかり目が いってしまいました。」
(Amazonさん無断転載すませんt)
ってあったんですけどー、
勘違いだからっ!
身も女性であったら、なんておもわないからw
第一、心が女ってなんだw
心に男とか女とかあるのかよ?
別に、自分の体が男ってのに違和感もってないし(’’
男として男が好きなのよ。
このレビュー書いた人、ニチョでその発言してみなさい。
撲殺されるわよ(’’b
ま、もしかしたらほんの一部の人が思ってるかもしれないけどw
で、お前、じゃーなんで語尾が女っぽいんだYO、
とかいわれると困るわけですが、
これ、文化ね、文化(ぁ
オネエ言葉、っていいます、はい。
むきむき腹筋割れて、短髪ひげなおにーさまが、
高い声で、「あらやーね」とか言う感じです。
小説の読み方、人それぞれ、
映画よりも自由に、その世界に入れるのが文章の強みですが、
この読み方はちょっと勘違い入りすぎてて、
なんか、読めてない気がするのですU・ω・)ノ
こういうもったいない読み方したらつまらないとおもいますよ?w
※脳みその一部には男と女で違いがあるそうですね(’’
だからといって、ちょくに心が女〜とかいうのは安直すぎ。
脳の一部が女型つーなら、まだ説得力あるけど、
お前、俺の脳みそ切り開いて顕微鏡で見てみたのか、とw
↓参考HP
http://love3.2ch.net/gaysaloon/
http://love3.2ch.net/gay/
良スレ及び良スレの予感
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gay/1086581123/
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1099823425/
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gay/1095456408/
(↑過去スレから見るといいかも、最近は・・・)
しばらく、一人アルコール禁止にしよう(´・ω・`)
昨日一日は、のんびり部屋にひきこもりながら、
本を読んでいました。
日記書いてる途中に『破戒』をのっけたこともあって、
なんとなく小説を久しぶりにどばーっと。
正確には、読み返し(’’
ということで、以前メモっといて、
日記に使い忘れてる『最後の息子』について感想を。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167665018/250-8321025-4621863
まず、結論からいって、表題作以外の二編は、
、、、おもしろくない(´・ω・`)
レビューを見てると、やたらと「water」が人気なんですが、
なんともいやはや。
でも、表題作である「最後の息子」はマジおすすめ。
この「最後の息子」、
姫野カオルコの「ツ、イ、ラ、ク」の
ラスト、アイスをすーっと後輩社員の前に滑らすとこで、
おー、すげーエロいじゃんっ、と思った人なら、
ぜーったいに、うひひ、と言ってしまうはず。
それも最初から最後まで。
5回読み返してもあきない(ぁ
「は、ツイラク俺読んでねーよ、説明しろよ」
とかいわれそうなので、どういうことかというと・・・
まず、話をする上で、ちょっと言葉を定義させてください。
この本にあふれてるのは、そう、言うならば、
恋人同士であることを伏せてる職場で、
一人が先に帰ることになって、「お先に失礼します」、
とかいってるとこで、一瞬だけ、
二人、目をあわすようなこと。
愛、愛は愛でもささいな愛。
なんというか、魂同士が一瞬こすれるような。
愛情って言葉が一番近い気もしますが、
なかなかいい言葉を思いつけないので、
ここでは、愛情、で通させていただきます。
さて、この話の主要登場人物は二人。
閻魔ちゃん、と、「ぼく」である主人公。
閻魔ちゃんは、我らがニチョこと新宿は二丁目に
お店を持つバリバリのオネエ(ぁ
「ぼく」は、閻魔ちゃんの家に同居してる、
世間で言うヒモ。
専業主夫みたいに家事をするわけでもなく、
一日中グダグダしてる。
まぁ、こんな感じの、
世間ではまず表に出てこないカップルのお話。
しかし、こんな構成はどうでもいいの。
大事なのは、話のそこらじゅうから、
かもしだされてる愛情。
にじみでまくってますよ、はい。
かびはえちゃうよ?、くらいの勢い。
きっと、高級チーズみたいな熟年カップルに、
将来必ずなるであろうことが確信できる。
そんな二人。
この一瞬にじみ出る愛情が、
作者のうまい時間軸の設定、仕掛けに乗っかって、
ラストに向けて収束していく。
そして、将来に向かって、
絶対にこの二人が幸せになれると確信させる。
「ぼく」が閻魔ちゃんをすんごく愛してる、
閻魔ちゃんも「ぼく」をすんごく愛してる。
がんがんつたわってきます(’’
二人とも一生懸命愛してるし、愛されようとしてる。
そんなhappyなお話。
同性愛であること特有の陰がいくつか盛り込まれてますが、
そんなのふっとばしちゃうくらい。
実は、陰のひとつに、閻魔ちゃんと「ぼく」の友達が、
ホモ狩りで殺されちゃったりするんですけどね。
この事件に対する「ぼく」の
怒りの発散の書き方も、秀逸。
うちが日記に怒りを込めて書き込むのと同じね(ぁ
ということで、是非読んでください。
まじ萌えれます(’’
とにかく、この二人の随所随所に出す、愛情、
読み終えたときには、まんぷくーって言えるはず(’’b
P.S.
「water」の中で、圭一郎が、
ジャン・コクトーの『白書』を持ってきて、
主人公に自分の父親と自分自身のことを
相談してる場面があるんですが、
当然、主人公は知りません、分かりません。
ここ読んでる人も「んなもん読んだことねーよ」でしょう。
私も読んだことありませんし(’’
が、この小説不親切にも、そのまんま流しますw
うちは、なんとなく薄々は分かりましたが、
普通は分からんでしょう。
ジャン・コクトーの『白書』は、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4763094165/249-8780875-5353118
まぁ、この本の中で、ジャン・コクトーは、
自身の父親もお仲間だったと匂わせております。
圭一郎の母親が、家出したくなるのも分かるわw
息子は、よく分からん、感情隠してる。
夫は、実はゲイだった、偽装結婚か?
ほんとに愛してくれてるのか分からん。
ご愁傷さまです(・人・*)
P.S.
Amazonの『最後の息子』のレビューの中に、
「なんだか切ない話です。
おかまの閻魔ちゃんの、おかま故の悲しさ、というか。
心だけでなく、身も女性であったら、味わうことのない悲しさ。
作品の主旨はそこではないと思いますが、
私はそこにばかり目が いってしまいました。」
(Amazonさん無断転載すませんt)
ってあったんですけどー、
勘違いだからっ!
身も女性であったら、なんておもわないからw
第一、心が女ってなんだw
心に男とか女とかあるのかよ?
別に、自分の体が男ってのに違和感もってないし(’’
男として男が好きなのよ。
このレビュー書いた人、ニチョでその発言してみなさい。
撲殺されるわよ(’’b
ま、もしかしたらほんの一部の人が思ってるかもしれないけどw
で、お前、じゃーなんで語尾が女っぽいんだYO、
とかいわれると困るわけですが、
これ、文化ね、文化(ぁ
オネエ言葉、っていいます、はい。
むきむき腹筋割れて、短髪ひげなおにーさまが、
高い声で、「あらやーね」とか言う感じです。
小説の読み方、人それぞれ、
映画よりも自由に、その世界に入れるのが文章の強みですが、
この読み方はちょっと勘違い入りすぎてて、
なんか、読めてない気がするのですU・ω・)ノ
こういうもったいない読み方したらつまらないとおもいますよ?w
※脳みその一部には男と女で違いがあるそうですね(’’
だからといって、ちょくに心が女〜とかいうのは安直すぎ。
脳の一部が女型つーなら、まだ説得力あるけど、
お前、俺の脳みそ切り開いて顕微鏡で見てみたのか、とw
↓参考HP
http://love3.2ch.net/gaysaloon/
http://love3.2ch.net/gay/
良スレ及び良スレの予感
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gay/1086581123/
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1099823425/
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gay/1095456408/
(↑過去スレから見るといいかも、最近は・・・)
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