おそばっ(’’ノ
2004年12月16日あぁ、時間がないt
なんで、年末ってこうなんでしょうかね。
前にはレポート、忘年会、後ろにはバイト、お正月、テスト。
でも、あと二ヶ月がんばれば春休み(’’b
春休みがーとかいえるのもあと数年かと思うと、凹むわw
さて、学校で聞いてきました。
一コマ、授業後、憲法の講義を終えて、
一息ついてる先生のところへ。
「すみません、今日の授業と関係ないことなのですが、
少し教えていただきたいことがあるのですが・・・」
「えぇ、いいですよ、どうしたんですか?」
「私の友達に同性愛者がいて、そいつに頼まれたんですけど、
なんでも、そいつが今年の冬に温泉に行こうってことで、
温泉関係のHPを調べてたらしいんですよ、信州の」
「ふむふむ」
「それで、ホテルで、ダブルの部屋が7000円で
安いっ!って、思って喜んだそうなんですけど、
そこに、「同性でのご利用はできません。」ってあって、
差別なんじゃないかって思ったそうなんですけど、
これは差別なんでしょうか?」
「うーん、どうなんでしょうかね・・・」
「でも、えっと、いつぞや、ハンセン病の人を、
旅館だかが断ったって事件あったじゃないですか。
あれは経営者側が罰せられましたけど、どうなんですか?」
「そうですねぇ、外人お断り、もありますしねぇ。
ハンセン病の場合は、科学的根拠がしっかりしてて、
伝染しないって分かってるし、社会的容認度も高いのに
比べて、同性愛は、社会的容認度が低いんじゃないですかね。
でも、普通に泊まる分にはばれないのでは?」
「先生、ダブルですよ(笑」
「そうか、あっはっは、やっぱ差別なのかなぁ」
みたいな感じで談笑してきました(’’b
実際には、うちはこんなに話の運び方がうまくないので、
どういう順序だったかというと・・・
ハンセン病の件をあげて、
あれは差別だった、ということに同意を。
んで、この「友達」の疑問点について。
で、これも差別だということに同意を。
というなんともいやらしい手順を踏んだのは内緒です。
現金な人間だと、ちょっと恥。
しかし、外国人お断りの北海道の事件を指摘してもらって、
先生には感謝ヽ(´ー`)ノ
この事件、すっかり忘れてたわ。
家に帰ってきて、のんびりネットで検索をかけてみれば、
こんなのが(’’
http://www.sukotan.com/news/new867.html
日本って、まだまだ、差別がかなり残ってると思うんですよ。
みんな忘れているのか、知らないのか、気づいていないのか。
これって、怖いことだと思うんですけれどもね。
たとえば、なんとなく発言したことで、
もしかしたら友人が酷く傷ついているかもしれないし。
私自身も、いつ何時、差別発言を
なんとなしにしているかも分からない。
昨日の晩、寝る前にハタと気がついたのですが、
私、麻薬中毒者に対して結構差別意識をもっているかもしれない。
おまえ、ラリってんのかよ(笑、とか、こういう発言日常でしてるわ。
麻薬中毒者は、自己管理がなってないんだと思うし、
結構、差別意識が強いのかもしれない。
今までの知り合いの中に、実は、麻薬中毒経験者がいたのかもしれない。
なんて思うと、ブルーな気分。
先日まで読んでいた『人権のオモテとウラ』の中で、
筆者である内野正幸氏は、こう書いている。
「ホモ権論に好意的な論稿を書いたりすると、もしかしたら執筆者の私自身がホモなのではないか、という疑いをかける読者もいるかもしれない。残念ながら、私は、ホモの気がないばかりか、同性愛に嫌悪感を抱いている一般人の一人にほかならない。」
「同性愛をめぐる憲法問題の焦点は、まさに、社会の倫理かにゃ道徳感情を根拠に、少数者たるホモの権利を規制できるか、と言う点にあったのである。・・・−感情論はさておき−憲法学者としては、・・・」
「個々から分かるように、憲法=タテマエの世界と、感情=ホンネの世界とは別だ、というのが、私の考えであった。つまり、ホンネの部分では、自分はホモはいやだ、という。タテマエの部分では、国家はホモの人権を保障すべきだ、という。ただ、ここには、とくに矛盾があるわけではない。しかし、タテマエの部分で、ホモに対する社会的差別は許されない、といったら、どうなるであろうか。この場合、ホンネとの間に、矛盾が出てくる可能性がある。自分は、ホモ差別を行う社会の一員だからである。」
(以上3節、P163〜P164より引用)
この文章を読んでふと思ったことがある。
それは、嫌いだ、と自覚していたり、
自分には差別意識がある(だから、気をつけねばならない)、
と思ってもらえれば、さほど問題にはならないんじゃないのか、と。
一番怖いのは、差別意識のカケラも自覚せず、
無意識に発言、行動している人達なんじゃないだろうか。
これに続けて思ったことがある。
例えば、初めましてな人と、会って、付き合いをするとき、
その人が「俺はホモは嫌いだ」って思ってる人なのか、
その人が「ホモ」に対する態度を決めていない、自覚してない人なのか、
で、その後が全然違うんじゃないだろうか。
「俺はホモは嫌いだ。」って人となら、
初対面の時点で、二度と会わない、になるか、もしくは、
その人が、自分自身の「ホモである」という個性の一部を分かった上で、
しょうがなく(?)付き合うか、の二択である。
どちらにしろ、悪くはなりようがない。
・・・初対面でボコられはしないですよね?
「ホモ」に対する態度を自覚していない人は、
もし初対面の時点で、あぁ、こいつ「ホモ」なんだ、
と知ったとしても、まぁ、なんともないだろう。
でも、そのうち、障害がいろいろでてくる。
だんだん、その人、吐き気を催すようになり、
結局、つらい別れになるでしょう。
その人がほんとに、「ホモ」に対して差別意識を持っていないなら別だが。
さて、残念なことに、世の中、
女性男性わけ隔てなく、大部分の方は、
同性愛に嫌悪感を持っているように感じる。
あ、うちの経験則ね。
普段、「同性愛でも別にいいじゃんっ」とかそんな風に
言ってるヤツがいても、結局、真横にその「同性愛者」が
いたと知ると、態度がガラッと変わったりする。
とくに最近は、一個前の金八とか、学校の教育のせいか、
知りませんけども、「別にいいじゃんっ」という人は、
かなり多いようです。
が、実は、そんな風に思えない人が多いんだって(’’
さて、この後に文章を続けるなら、
・一緒であることを教える教育から違うこと“も”教える教育へ
・個人的に〜は嫌い、と思うことと、差別することの境目について
忘れないうちにアウトラインを。
バイトへー。
それから、どこかに絡ませられたら、
・思いやり、は差別を助長するというがどうなのだろう。
・同性愛への差別、明治憲法、欧米、南米、イスラム、ナチ、違法
・マイノリティの中のマイノリティ差別(障害者の中の同性愛者、外国人の中の同性愛者、同性愛者の中のエイズ患者)
を、書きたいなぁ、と。
なんで、年末ってこうなんでしょうかね。
前にはレポート、忘年会、後ろにはバイト、お正月、テスト。
でも、あと二ヶ月がんばれば春休み(’’b
春休みがーとかいえるのもあと数年かと思うと、凹むわw
さて、学校で聞いてきました。
一コマ、授業後、憲法の講義を終えて、
一息ついてる先生のところへ。
「すみません、今日の授業と関係ないことなのですが、
少し教えていただきたいことがあるのですが・・・」
「えぇ、いいですよ、どうしたんですか?」
「私の友達に同性愛者がいて、そいつに頼まれたんですけど、
なんでも、そいつが今年の冬に温泉に行こうってことで、
温泉関係のHPを調べてたらしいんですよ、信州の」
「ふむふむ」
「それで、ホテルで、ダブルの部屋が7000円で
安いっ!って、思って喜んだそうなんですけど、
そこに、「同性でのご利用はできません。」ってあって、
差別なんじゃないかって思ったそうなんですけど、
これは差別なんでしょうか?」
「うーん、どうなんでしょうかね・・・」
「でも、えっと、いつぞや、ハンセン病の人を、
旅館だかが断ったって事件あったじゃないですか。
あれは経営者側が罰せられましたけど、どうなんですか?」
「そうですねぇ、外人お断り、もありますしねぇ。
ハンセン病の場合は、科学的根拠がしっかりしてて、
伝染しないって分かってるし、社会的容認度も高いのに
比べて、同性愛は、社会的容認度が低いんじゃないですかね。
でも、普通に泊まる分にはばれないのでは?」
「先生、ダブルですよ(笑」
「そうか、あっはっは、やっぱ差別なのかなぁ」
みたいな感じで談笑してきました(’’b
実際には、うちはこんなに話の運び方がうまくないので、
どういう順序だったかというと・・・
ハンセン病の件をあげて、
あれは差別だった、ということに同意を。
んで、この「友達」の疑問点について。
で、これも差別だということに同意を。
というなんともいやらしい手順を踏んだのは内緒です。
現金な人間だと、ちょっと恥。
しかし、外国人お断りの北海道の事件を指摘してもらって、
先生には感謝ヽ(´ー`)ノ
この事件、すっかり忘れてたわ。
家に帰ってきて、のんびりネットで検索をかけてみれば、
こんなのが(’’
http://www.sukotan.com/news/new867.html
日本って、まだまだ、差別がかなり残ってると思うんですよ。
みんな忘れているのか、知らないのか、気づいていないのか。
これって、怖いことだと思うんですけれどもね。
たとえば、なんとなく発言したことで、
もしかしたら友人が酷く傷ついているかもしれないし。
私自身も、いつ何時、差別発言を
なんとなしにしているかも分からない。
昨日の晩、寝る前にハタと気がついたのですが、
私、麻薬中毒者に対して結構差別意識をもっているかもしれない。
おまえ、ラリってんのかよ(笑、とか、こういう発言日常でしてるわ。
麻薬中毒者は、自己管理がなってないんだと思うし、
結構、差別意識が強いのかもしれない。
今までの知り合いの中に、実は、麻薬中毒経験者がいたのかもしれない。
なんて思うと、ブルーな気分。
先日まで読んでいた『人権のオモテとウラ』の中で、
筆者である内野正幸氏は、こう書いている。
「ホモ権論に好意的な論稿を書いたりすると、もしかしたら執筆者の私自身がホモなのではないか、という疑いをかける読者もいるかもしれない。残念ながら、私は、ホモの気がないばかりか、同性愛に嫌悪感を抱いている一般人の一人にほかならない。」
「同性愛をめぐる憲法問題の焦点は、まさに、社会の倫理かにゃ道徳感情を根拠に、少数者たるホモの権利を規制できるか、と言う点にあったのである。・・・−感情論はさておき−憲法学者としては、・・・」
「個々から分かるように、憲法=タテマエの世界と、感情=ホンネの世界とは別だ、というのが、私の考えであった。つまり、ホンネの部分では、自分はホモはいやだ、という。タテマエの部分では、国家はホモの人権を保障すべきだ、という。ただ、ここには、とくに矛盾があるわけではない。しかし、タテマエの部分で、ホモに対する社会的差別は許されない、といったら、どうなるであろうか。この場合、ホンネとの間に、矛盾が出てくる可能性がある。自分は、ホモ差別を行う社会の一員だからである。」
(以上3節、P163〜P164より引用)
この文章を読んでふと思ったことがある。
それは、嫌いだ、と自覚していたり、
自分には差別意識がある(だから、気をつけねばならない)、
と思ってもらえれば、さほど問題にはならないんじゃないのか、と。
一番怖いのは、差別意識のカケラも自覚せず、
無意識に発言、行動している人達なんじゃないだろうか。
これに続けて思ったことがある。
例えば、初めましてな人と、会って、付き合いをするとき、
その人が「俺はホモは嫌いだ」って思ってる人なのか、
その人が「ホモ」に対する態度を決めていない、自覚してない人なのか、
で、その後が全然違うんじゃないだろうか。
「俺はホモは嫌いだ。」って人となら、
初対面の時点で、二度と会わない、になるか、もしくは、
その人が、自分自身の「ホモである」という個性の一部を分かった上で、
しょうがなく(?)付き合うか、の二択である。
どちらにしろ、悪くはなりようがない。
・・・初対面でボコられはしないですよね?
「ホモ」に対する態度を自覚していない人は、
もし初対面の時点で、あぁ、こいつ「ホモ」なんだ、
と知ったとしても、まぁ、なんともないだろう。
でも、そのうち、障害がいろいろでてくる。
だんだん、その人、吐き気を催すようになり、
結局、つらい別れになるでしょう。
その人がほんとに、「ホモ」に対して差別意識を持っていないなら別だが。
さて、残念なことに、世の中、
女性男性わけ隔てなく、大部分の方は、
同性愛に嫌悪感を持っているように感じる。
あ、うちの経験則ね。
普段、「同性愛でも別にいいじゃんっ」とかそんな風に
言ってるヤツがいても、結局、真横にその「同性愛者」が
いたと知ると、態度がガラッと変わったりする。
とくに最近は、一個前の金八とか、学校の教育のせいか、
知りませんけども、「別にいいじゃんっ」という人は、
かなり多いようです。
が、実は、そんな風に思えない人が多いんだって(’’
さて、この後に文章を続けるなら、
・一緒であることを教える教育から違うこと“も”教える教育へ
・個人的に〜は嫌い、と思うことと、差別することの境目について
忘れないうちにアウトラインを。
バイトへー。
それから、どこかに絡ませられたら、
・思いやり、は差別を助長するというがどうなのだろう。
・同性愛への差別、明治憲法、欧米、南米、イスラム、ナチ、違法
・マイノリティの中のマイノリティ差別(障害者の中の同性愛者、外国人の中の同性愛者、同性愛者の中のエイズ患者)
を、書きたいなぁ、と。
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