http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/4583911.stm

いろいろ直したり補足してみました。
最初に比べて、ずいぶんとましな訳にしあがったつもり。
著作権の問題で、和訳転載はあんまりよくない気がする。
まずいってわかったら、秘密日記に移動させます(’’;
でもあえて、記事を紹介する価値があるように思う。
このコラムに対して意見を寄せることができるので、
なにか思ったり感じた人はコラムの下の欄から送ってみるべし。

そうそう、誤訳しているところがあるやもしれません。
かなり思い込みで訳している場所も多いように思う。
なので和訳を読んでハァ?とか思ってもかならず原文を読んでください。
ついでに、お前間違ってんぞゴルァと、
メールなりIRCで言ってもらえるとうれしいです。

BBCさま、頼むから日本語ページ作ってt
CNNは日本語ページあるのにねぇ・・・
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パキスタンのgay-‘アメリカよりいい’
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SouthAsia のあらゆるところで、同性愛はタブーにされてきた。しかし最近、よりオープンにgayが行動しつつあるsignsがある。このコラムではパキスタン国籍の gayの男性が、パキスタンのほうがアメリカよりgayとして生きやすい、と語る。ちなみに、彼は匿名を希望している。
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SouthAsiaでは共通して、セクシャリティを型にはめようとし、セクシャルマイノリティを抑圧する。セクシャリティを十把一絡げに捉えようとする際、問題となるのは例外である。
僕はそんな例外の一人である。パキスタンで育ったgayだ。アメリカで勉強しているときにgayである自覚を持ち、love and sexをアメリカで初めて経験した。そしてパキスタンに帰る決心をし、すでに帰国している。
こういったらみんな驚くだろう。実際アメリカにいた頃より、こっちに住んでいるほうが暮らしやすい。まぁ、そんなに自明なことじゃない。僕は帰国前、かなり傷ついた。straightの兄弟はパキスタンでgayとして生きることについて僕が憂慮してたのに相手してくれなかった。別に問題じゃないだろと彼は言う。なんて鈍感で単純な奴なんだと思ったもんだ。
けど、僕の兄弟の方があっていたんだ。僕はノンケのふりをしようかと思っていたけど、今は家族のみんなにcome outしている。僕は友達のみんなにもcome outしている。僕(原文:gay individuals)は敵対的な人にはめったにあわないね。僕は独立して、彼氏と一緒に生活している。けど、だれもまゆをひそめたりはしない。
僕はアメリカにいたころよりずっと心置きなく、gay parties(訳者:party=政党など政治的な団体)にかかわっている。
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‘違いの原因’
事実、僕は思い出せない。10年もシングルだったときのことを。僕は恐れていた。パキスタンでの僕のセクシャリティへの認識、をね。僕の経験は周りを見渡してみてあんまりない経験ではある。パキスタンのマジョリティの経験からはよっぽどかけ離れている。ま、僕が思うに典型例なんてものは存在しない(訳者:から別にいいじゃん、かな)
アメリカと違ってパキスタンにおいて、セクシャリティはずいぶんと異なって構成されている。sexuality debateって言葉を生みだした西の国々とはほんと違う。自分のアイデンティティと行動への人々の認識、階級に関して、特にそうだ。家族への認識と、宗教義務による。
僕はこういいたいのではない。パキスタンではゲイとして生きやすい、と。同性愛的な行動は違法である。それに加えて保守的な宗教と文化的な態度は、多くのgayの人々にとって、gayであることがばれることは恐ろしいことであることを意味する。(訳者:イスラム教。以前イランの方が日本に同性愛者であることを理由に亡命を求めてきたことがあります。ま、日本は受け入れなかったけど。もしかしたら捕まるかもしれないと思いつつ日常を送るのはいかがなものだろう。)
gayであることを彼らがオープンに(訳者:社会にアピール=自己表明、という意味だろう)すれば、家族は彼らを家から追放(勘当)する。けれども、ある意味でアメリカ軍の「聞かざる、言わざる」がこの社会に関係している。(訳者:アメリカの軍隊では、自分自身のセクシャリティを言ったり行動で表明しないかぎりは、聞かないし見ないからいいよ、みたいな立場をとっている。つまり自分から「俺はgayだ!」といってみたり、実際に行為してそれがばれなけりゃ、軍隊はノータッチ。)
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‘タブーなこと’
思慮深いこと(訳者;ノンケのふりをすること)と息苦しく沈黙すること(訳者;ゲイであることを黙っていること)が明確に違うのはいいだろう。しかし、straightとしてふるまうことは、gayであることを黙っているよりも特に楽というわけではないし、実際ときとして(例えば肉体関係を迫られる時なんか)もっとむずかしい。
いったい何が真実なのだろうか。おそらく、gayにせよstraightにせよ、セクシャリティの自己表明がパキスタン社会ではタブーなのである。(訳者:アメリカの軍隊で規制されていることは、まさにこれである。ジュディス・バトラーがこれに関する問題ついて『触発する言葉』第三章「伝染する言葉」の中で論じている。ちなみに、コラム著者が匿名希望なのもこの点によるのだろう)
しかし、一方で異性愛者の交際と結婚が大っぴらに(訳者:ならざるをえないのに)対し、gayの社交は特に人目をひかないように行うことができる。異性愛者と同性愛者の正反対なsex同士の間には社会へのセクシャリティの表明に関して、こう正反対であり真実がここにある。
しかしながら、ちょうど世界中で、変化がおきている。テクノロジーを経由した情報の露出による。インターネット、衛星放送、映画など全部がまとまって、新しい世代のgay人々の感情に関するコンテキスト、アイデンティティの捉え方、表明のはけ口、そしておそらく一番重要だがお互いのコミュニケーションの可能性を提供する。おどろくなかれ、僕は彼氏とインターネットで知り合った。
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ちょっと細切れ感がする、全体不足に説明不足というか。
こういった話に慣れてない人にはかなりきついんじゃないか。
とーっても不親切な文章だと思った。

Sexuality itself is so much more differently configured in Pakistan than in the West
願わくば、このあたりをもっと詳しく書いてくれればいいのに。

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